高校教師を目指していた私でしたが、バスケットボールに忙しく教職課程をほっぽらかしてバスケットに打ち込みました。その甲斐あって15年ぶりの関西学生リーグを制したものの、大学卒業時(S51)はオイルショック後の新卒採用大幅減の最悪期。
そのような環境の中、先輩がいた黒田電気(当時は売上100億円ほどの中堅商社)からお誘いがありました。しかし、名前も知らない中小企業で、あまり気乗りがせず断りに行ったところ、創業者に私の断り文句を軽く一蹴され、入社することになってしまいました。
黒田電気は商社であるがゆえに、創業者は終戦間もない頃(昭和20年代後半)・・・「もし、黒田電気が無くても何処からでも製品が買える。そうだとすれば黒田電気が社会に積極的に存在する理由は何か?・・・」という重大な悩みにぶち当たったという。
この悩みに明快な答えを出してくれたのが奈良・秋篠寺の堀内瑞善師であった。
師は大卒のインテリで「君の扱っている製品の仕入先も、またそれを販売している客先も一流ばかりだ。そのような会社はNEXT GENERATIONを如何にするかを考え、いずれ新しい製品を作るだろう。そうなれば新しい材料や新しい用途の開拓が必要になるに違いない。君は現在の製品のことだけ悩んでいるが、そういう点に着目すれば黒田電気ならではの新しい仕事が発見できるだろう。それを開拓しPRしてこそ君の会社の大きな存在理由があるのではないか」と諭されて開眼。お坊さんから横文字やPR、手形の話、人材育成のことまで聞かされると思わなかったと述懐していた。
我社は電力用配電機材および、住宅用電設資材の製造販売をしています。
商社と違って何でも販売できる訳ではなく、メーカーであるが故の難しさもありますが、やはり売上は社会に対するお役立ちのバロメーターであると考えています。
その点では、残念ながらかれこれ10数年間に亘り、売上はほぼ横ばいで、社会に対する貢献度が変っていないことになります。(現在は約80億円/年商)
日動電工の創業は昭和32年で、創業者は終戦時 海軍少佐で南西方面艦隊の参謀を務めていた海軍軍人でした。軍人から企業家となり、国を愛し、会社を愛し、そして人を愛した創業者の経営理念は「社会に役立つものつくりを通じて地域の発展と国の繁栄に貢献する」というものです。
メーカーであれ、商社であれ社会に役立つ会社であり続けることは必須あり、そこには夫々の会社の経営哲学・経営理念が大きなバックボーンとなっています。
そして夫々の会社の成長は会社を構成する人間次第です。
縁あって入社した黒田電気の創業者から親のような大きな愛情と教えを受けて、何とか一人前にして頂いた恩を日動電工で返さなければと思う今日この頃です。