当社は1965年に広島で誕生した、輸液・注射器具をはじめとする汎用医療機器から人工臓器、医薬品、医療用電子機器などを開発・生産する「総合医療機器メーカー」であり、本年で創立50周年を迎えます。 50周年という節目の年を迎えることができましたのも、これまでさまざまな形で私たちや朋輩を支えてくださったお客さま・関係者の皆様のおかげです。心より厚くお礼申し上げます。
原爆によって甚大な被害を受けた広島市が復興への歩みを続ける1960年代前半、後の当社創業者となる土谷太郎(医学博士)は、父親の後を継ぎ「広島血液銀行」の経営に携っていました。当時は同じ器具を洗浄消毒して何度も使用していたため、輸血による発熱や血清肝炎などの副作用が多発していました。臨床医であった土谷は「治療を受ける人たちが他の病気に感染する危険に晒されることなど許されてはならない。かけがえのない生命のためにもっと良い医療を実現させたいと願う医師、そして医師に命を委ねている多くの患者さんのために、優れた医療機器を提供し、普及させたい!」という強い志のもと、国産のディスポーザブル医療機器を製造販売するため当社を設立しました。
私が入社したのは、会社設立から13年後の1978年、現在の主力生産拠点である出雲工場が竣工した年です。入社後は販売会社の営業に配属され、「心臓ペースメーカー」の輸入販売や「人工心肺」など製造が開始されたばかりの新規事業、循環器分野の担当になりました。文系の大学を出た新入社員の私が心臓血管外科のドクターにペースメーカーの説明をするわけですから、本を読みながら、先輩や若手の病院スタッフに教えてもらいながら必死に勉強をしました。なかなか実権のあるドクターに会うこともできず、随分悔しい思いをしましたし苦労もしました。最初の売上に至るまで半年近くかかりましたが、その時培った経験があるからこそ、その後新しい壁にぶつかる度に「たとえ愚直な挑戦でもいつか評価される時が来る」「志を持って一生懸命頑張れば必ず道は拓ける」と思えるようになりました。入社直後に自分の限界を感じながら全力で仕事に臨めたこと、たくさんの方から助けていただいたことが社会人としての原点になっています。
その後1985年、竣工から4年後のシンガポール工場に赴任することとなりました。当社のシンガポール進出は、円高やオイルショックに対応した海外戦略としてコスト競争力の確保が目的でしたが、ここでも私にとって新たなチャレンジの繰り返しの日々でした。操業開始以来の累積損失を抱えていたシンガポール工場は当時、日本人の駐在員は3名(全員30歳台)にまで絞られ、その3人で数百人の現地スタッフを抱える会社の生産、営業、品質保証、管理の4部門を統括していました。初めての海外赴任経験でしたし、国全体でジョブホッピングが横行する中、自己主張の強い現地のスタッフと価値観を共有するために、彼らの懐に飛び込み、当社の理念や方針を根気強く説明、スタッフを育成し、アジア地域でディスポーザブル医療機器の普及に邁進しました。日本型の経営や生産の優位性が「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」として世界的に評価されていた80年代という時代背景もあり、「メイド・イン・ジャパン」(実際はmade by Japan)の強みと日本式の「モノづくり」を現地スタッフと共に実践することができたことが功を奏し、3年間の赴任期間中に累損が解消され、シンガポール工場は当社のグローバル生産拠点のリーダーとして成長軌道に乗ることができました。
当社設立の頃の日本、またシンガポールや未だ新興国と呼ばれる以前のアジア諸国では経済成長や医療レベルの向上と共に、シングルユースの医療機器の普及が広まっていったことも、会社成長の大きな要素となりました。1回の使用で器具を捨てるということは、医療の質は高められても、医療コストが増大するように思われがちですが、感染・医療事故防止や医療従事者の作業の効率化・安全性を高めることは、結果として医療費の削減につながっています。医療機器を洗浄・滅菌処理して再使用することから、材質をPVCなどの合成樹脂に置き換え、必要な時に必要な場所で使用できる、安全で清潔な医療機器の製造が可能になったことは、医療にとって大きな貢献を果たしています。すなわち、医療機器の進歩は安全で安価なプラスチック素材などの材料品質が発達したおかげでもあります。
医療の進歩とともに、医療現場は単なる治療効果の向上や安全性の追及から、再生医療や患者さんの身体への負担や影響を大幅に減らす低侵襲治療など、新たな分野へと変貌を続けています。医療の足元を信頼と共に支える汎用製品の供給と、環境の変化に対応をしながら、先端医療に役立つ新たな製品を開発することで、「人と医療の架け橋」となり、人間にとって最も大切な「かけがえのない生命」にかかわり続けることが当社の使命であります。
創業当時、わずか30名でスタートを切った当社ですが、現在国内外のグループ社員は7000名を超えました。全ての社員が、人々の生命を守るために「医療」とともに働いているという「使命感」と同時に、この仕事の持つ社会的な「責任」の重さを常に自覚し、日本のみならず世界の医療に貢献できるよう、社長として会社設立当時からの理念を受け継ぎ、伝えていきたいと思っております。