弊社は主に電気絶縁チューブの分野において、多品種少量、即納、特殊品の対応等を得意分野としております。
長くメーカーとして活動しておりますが、社内の風土や考え方が「あまりメーカーらしくない」と言われることがままあります。普段は特に意識している事ではないのですが、改めて考えてみると、60 年以上前の創業当時にその原点があるのだと気付かされます。
今から 60 年以上前の話になりますが、創業者である父が 20代の頃に勤めていた会社を「クビ」になってしまい、仕方なく失業保険を元手にして色々な物を仕入れては売るという、いわば「ブローカー」的な事をやっておりました。そんなある日公園で一休みしている時に、目の前に駐まっていたバイクに使われている燃料用のチューブが目に入り、「チューブは面白そうだ」と考えたのが創業のきっかけだそうです。
しかしながら、単なるブローカーがどこからか仕入れてきたチューブを売ろうとは思っても、お客さまからすれば他からも買える物をわざわざ見も知らぬ若造から買う理由は全くありません。
そんな中であるお客さまから言って頂いた「10メートルだけ欲しい」というご要望に応える為に、在庫から10メートル分を切り、それを茶筒に巻いた物を提供した事が、今日に繋がる皮切りになったようです。
その後、すぐに対応が出来るように在庫をし、お客さまが必要な分だけを切り売りしたり、「今すぐ必要だ」と言われれば即座にバイクで配達し…と、様々な要望に一つ一つ応えて行くことによって、お客さまが「わざわざ若造から買う」意味が産まれて行き、それが我々の基盤となっています。
そもそもの出発点がメーカーではなかったが故に産まれた、いわば「茶筒の精神」が我々の土台になっており、その考えで仕事をし、その積み重ねによって風土が産まれ、その風土が今の弊社を作っているのだと考えております。
私が社長に就任した経緯はまさに晴天の霹靂で、 1999 年暮れに先代である父が急に脳出血で倒れてしまったことによるものでした。その当時はまだ20代でまさか自分が経営の場に立たされるなどとは全く考えていなかったせいもあり、父からいわゆる経営ノウハウ的な事などを教えられる機会もほとんどありませんでした。準備もなく、何も解らない状態での経営は、社内外問わず、周囲の方々に本当に大丈夫か? と不安を抱かせてしまう部分が多々あったかとは思います。
それでも、今もこうしていられるのは、お取引先様をはじめ、多くの方々のご支援を頂いた事、そして先代から最も大切な根本に関わる部分を知らず知らずのうちに教え込まれていたからこそだと感謝しております。
これからも常に時代は変わり、お客さまからのご要望も常に変化して行くなかで、そこに合わせて茶筒の精神を実現化させ、さらに次の世代に繋げて行くことが私の仕事だと考えております。