「今こそ、先達の歩んできた道のりから学ぶべきとき」という思いから始めたこの連載も、さまざまな分野で日本の高度成長期をリードしてこられた皆様にご登場いただき30回を数えることができました。
ひとえに、ご執筆いただいた皆様のご助力のおかげと深く感謝しております。
さて、時を同じくして日本経済も、アベノミクスや為替相場における円安の影響もあって徐々に変化の兆しを見せています。もちろん、まだまだ予断を許さない状況ではありますが、皆様からいただいた金言を道標とすることで、より明るい未来が見えてくるのではとも感じています。
「La strada~先達たちが歩んだ道~」が、ご高覧いただいた方々の一助になれば、こんなにうれしいことはありません。
30回をひとつの区切りとして、この連載をここに終了させて頂きます。
終わりに際し、改めてご執筆いただいた皆様、そしてご高覧いただいた皆様に感謝申し上げます。
平成28年4月1日 昭和化成工業株式会社 代表取締役
かつて日本は、敗戦によってすべてを失いました。首都・東京をはじめ主要都市は、空襲により一面の焼け野原と言ってもいい状況でした。
ところが、日本経済はそこから不死鳥のごとく蘇ります。
特に1960年、池田内閣が所得倍増計画を打ち出してからは、奇跡とも称される高度経済成長を続け、ついには世界有数の「モノづくり大国」へと発展したのです。もちろん、その過程は順風満帆だったわけではありません。「山高ければ谷深し」のことわざどおり、建設国債の発行を機に始まった「いざなぎ景気」は、金融の引き締めと設備投資のバブル崩壊で終焉を迎えました。二度にわたるオイルショックでは、原油価格が高騰。原油のほとんどを輸入に頼る我が国では、「狂乱物価」という造語が生まれ、戦後初のマイナス成長も記録しました。また、1985年のプラザ合意では、それまで1ドル240円台で推移していた円相場が1ドル120円台までに急騰。輸出主導の日本経済は、大きな打撃を受けました。しかし、先人たちはその度に英知を働かせ、汗を流すことで困難を乗り越えてきたのです。
今日の豊かな暮らしは、そうした先達の英知と汗の結晶にほかなりません。
日本は今、100年に一度と言われる世界的金融不況やBRICsをはじめとした新興国のキャッチアップ、少子高齢社会の到来等により、非常に厳しい時代を迎えています。今後の舵取り如何では、日本全体が沈没してしまう危険もはらんでいます。いかにして再び、不死鳥のように蘇ることができるのか。これから何を道標として歩むべきなのか、その方向は。
今なお続くその道のりにこそ、私たちの未来へ続く道標があるのではないのでしょうか。
今こそ、先達の歩んできた道のりから学ぶべきときではないでしょうか。
私たち昭和化成工業株式会社では、さまざまな分野で日本の高度成長期をリードしてきた先達の皆様に「信条」・「経歴」等を交えつつ、自らの足跡をたどるが如く、ご執筆を頂き、ここに掲載させていただきました。
※"La strada"はイタリア語で「道」
※ご執筆を頂く方々の役職や略歴に関する情報は掲載当時のものを反映しており、現状と異なる場合がございます。予めご了承いただけますようお願い致します。